ムジくら

人生を深く考えてみたり、研究した軌跡を残す40代HSP主婦のぐだぐだ日記。

HSPと、ネットの距離感。

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いつものように、

SNSを開くと、「これをすべき!」とか「〇〇しなきゃ損する!」という文字がたくさん目の前に飛び込んでくる。

これまで、ブログやSNSからも自分の知らないことも沢山得たり参考にしたり、生きるヒントをたくさんもらってきた。

でも、なぜかそれらの文字があると避けたくなる時がある。

見るだけで、しんどい。もう頭の中がいっぱいいっぱいでこれ以上無理です!という状態なのかな。

そういうときって、「~べき!」を多用する人が無理ーってなってることが多かったりする。

価値観の押し付けが苦手だ。

文体からにじみ出る高圧的な感じが苦手なのかな…。ちょっと「偉そうにしすぎ感」がイヤなのかも。

(大抵プロフィールを見ると自分より10も20も下だったりもする)

あまりに一方的な主張をする人が多くて、「それは貴方の場合ですよね?でも、ぜんぜん環境が違う人もいるんですよ…」と言いたくなったりもしますが、それを心の中に押し込めて、ブラウザをそっと閉じる。

モヤモヤだけが心に残る。

これまでたどってきた人生の時間や環境、経験してきたことが全然状況が違う人のことはそう簡単には理解できないし、わたしにはわからない領域も沢山あるんだろうなぁとは思うけど、それはまた逆も然り。

致し方ないことだと思う。

でも最近は人生の経験が少ない若い子ほど、何も知らずに大人の言うことをバカにして偉そうにドヤってるのが目立つ。

わたしも少なからずその年代の頃はそういう部分もあったし気持ちはわかるんだけど、最近の人のそれは昭和の頃とはちょっと質が違ってきているようにも感じる。

わたしは30代半ばになってようやく、「もうちょっとあの頃、親とかまわりの大人の言う事聞いていればよかったかもなぁ」と気づいたこともわりとあった。

時が経つにつれ、わかることもある。環境や考えは、変わっていくこともある。

実際に経験はしていないのに、ネットで効率だの回答や成功法を見てそれをなぞっただけで「自分はすごい人」みたいに何かを成し遂げた気になっているだけの人が多くて、それがネットを通じて見えてしまう時代。

それもこれもネットやSNSの加速のせいでは無いか?どうしてこんな時代になっちゃったんだろ。

良いものだけを見れたらいいけど、見たくないものまで見えて、知らず知らずのうちに嫌なモヤモヤが蓄積されて心に重くのしかかっていく。

物事を深く考えるHSP。

HSP気質には「物事を深く考える」「物事の本質がパッとわかる」みたいなことがある。

物事の考え方が深い:Depth of processing
人に対する感受性が高いので、お世辞はすぐに見抜いてしまい、浅い人間関係を好みません。
物事を深く考えるため、行動するまでに時間がかかります。1を聞いて、10を想像して考えられる思考力を持ち、調べ物をする際も深く掘り下げることができます。

HSPとは?5人に1人が当てはまる繊細さんの特徴と対処法 | COE LOG

わたしもこんな感じで、自分に全く関係ないことでもつい「どうしてこうなるんだろう?」「でもこれって、こうじゃないかな?」と、深く考えたりする。

その結果、頭の中がごちゃごちゃいっぱいになって疲れきってしまう。

インターネットは上手に使えばとても便利なものだけど、いらない情報まで目に入ってきやすい。

最近では日常的に、当たり前のようにネットをチェックする癖がついてしまっているけど、実はそのほとんどが「別に知らなくても自分の人生にはさほど関係のない情報」だったりもするし、見ても数時間後には忘れている。

この前、うっかりHSP気質についてのページを開いてしまい、HSPのことを全く知らない人たちがHSPの人のことをボロクソ悪く言っているのを見てしまった。

「まだまだ世間にはこんな人もたくさんいるのかな…」と、こーゆーのが地味にショックで心に重くズーンとくる。

自分に向けて言ってるわけじゃないというのはわかっているんだけど、世の中の人がみんな自分のことをこんな風に見てる気がして、落ち込んでしまうのだ。

見なきゃよかったと思う。

HSP気質で自己肯定感の低い自分の場合、そういった「日常の当たり前」からいろいろと刺激を受けすぎてしまうところがある。

刺激を受けてもサラリと流せればいいんだけどそれができず、クソ真面目に深く考えすぎてしまう流れ。

自分から「何かを知りたい!勉強したい!」というときはネットを大いに利用するほうが便利だし助かるし非常に良いのだけど、

特に目的もなくダラダラと見てしまうのは「嘘か本当かわからないものや、無駄な情報、すでに知っているものばかりで時間がもったいない」と感じるようになった。

これは40過ぎた今だからこそ感じることでもあり、自分も20代30代の頃はまだまだ知識も浅くもっとネットに依存していたし、それが無駄とは思っていなかっただろう。

その頃よりは経験を重ね、ある程度の知識も増えて色々乗り越えてきて、世の中のしくみやその先のこと、周りの流れや景色なんかも昔よりもよく見えるようになってきた今だから感じること。

やっぱり自分で経験してみることが本当に大事だし、試行錯誤したり回り道とか失敗することこそが必要だと思う。

最近は気分や調子が悪いなぁと感じるときは無理せずしばらくネットを遮断して、好きな曲やラジオを聞きながらゆったりしたり、本を読んだり手帳を書いたり趣味に没頭する時間のほうが、よっぽど自分の精神や人生の為にはプラスになったりするということがわかってきた。

気持ちがホッと安らぐ時間が必要なのだ。

今の時代、ネットを全く使わないのは無理だとしても、ミュートしたりブロックしたり見たくない情報はなるべく目に入らないように上手に工夫はできる。

最近の人類は、ちょっと電気に頼りすぎているということもある気がするので、大げさに言うと「原始時代に戻ってみる」ぐらいの気持ちが必要になってくる時期なんじゃないかなって感じている。

ここのところ、台風や水害、大きな地震や異常気象などの心配もあるし、日本でも戦争などにいつ巻き込まれるかわからないみたいな不安定さはある。コロナも結局どうなったかよくわかないし。

わたしはなんとなく昔から世の理として行き過ぎた文明はいつか壊れると思っているので、

絶対に安全な場所とか、完璧な平和なんてないんだなぁと思う。

普段からネットに依存しすぎていると、ネットやSNSが全く繋がらなくなった時かなりのストレスになってしまう恐れもある。

つながらないことの不安から、パニック症とか不安神経症、うつ病になっちゃう人も多いかも知れない。

(ちなみにわたしは20代の頃1度パニック症みたいになって、電車に乗れなくなった時期がある。電車に乗るとめまいとか吐き気とか頭痛で、怖くて乗れなくなるやつ。今は克服したけど、まだ長時間遠くに行くときは正直ちょっと怖い)

少し、ネットから離れる。

わたしの世代はまだ人生の20年ぐらいはSNSがなかった時代も過ごしてきているので、わりと「ネットはあれば便利だけど、なくても生きていける」ということを知っている人も多いとは思うが、

平成~令和の、「生まれた瞬間からスマホやSNSが当たり前にある世代」の方は色々と精神的な意味で大変なんじゃないかな。

「ネットがないと生きていけない」っていう感覚の子もいるのかも知れない。当たり前すぎて「なくても良い」という発想自体があまりないと思うのだ。身近に若い世代がいないので、あくまでわたしの想像でしかないけど。

でも、ネットって意外と毎日そこまで頻繁に見なくても大丈夫なんだよね。

(お仕事とかは場合また別だけど)

(もっというとTVもほぼほぼ見なくなって20年ぐらい経つけど普通に生きてるし!)

実際、現在はほとんどInstagramは開かなくなったし、Twitter(X)も始めた頃よりは見たりつぶやいたりする頻度はあえて減らした。

(逆に初代のアカウントの頃はめっちゃ呟いてたけどねー)

見なくても何も支障なし。今後も、今まで当たり前にダラダラ見ていたような無駄な時間は意識して減らしていきたい。

HSPに限らず、心や精神がいっぱいいっぱいになっちゃってる人は、1度、ネットから距離を置いてみることをおすすめしたい。

だらだらスマホを見る時間があるなら、空をぼーっと眺めたりだとか陽の光を浴びたり風を感じたり、ゆったり散歩したほうがよっぽど健康に良いのだ。

わたしは学生時代、「晴れた日に土手で川の流れを眺めながら好きな曲を聴いてその世界観に没頭する」というのをやったことがあるけど、とても気持ちが良くてやすらいだのを覚えている。

大人になると、そんなことをする時間も減ってしまうね。

そういう若かりし頃の気持ちを取り戻すのも良いのかもしれない。
初出2022.03.24. 再掲2022.08.24.

 2024.01.27@negitoro.

(※この記事は旧ムジくらにUPしていたものをリライトして再掲載しました)